2004年2月25日水曜日

早春のビーチコーミング〈Peak.11〉



 2月25日午前10時、逢束海岸。大荒れの前日からちょっと回復して小荒れ。陽がさしている。
 今回のテーマは"ビーチコーミング"。番組をどう構成しようかと思案していたら、近くのおっちゃんがやってきた。
 「おー、今日はなんだいや。山に行かずに海かいや」
 ありがたや、ありがたや。ヒィーヒィー隊の番組を見てもらっている。きれいなおねーさんではなくても、こうして声をかけてもらうと嬉しい。
 おっちゃんは、八橋海岸に比べて、逢束海岸は冷遇されているとこぼした。
 「砂浜をちょいとブルでならして、シャワーをこさえりゃ、八橋なんか足元にも及ばん海水浴場になるになぁ。船着場はちゃんと浚渫(しゅんせつ)せないけん。あっちこっちに必要ない波止を造ったり、テトラをどかどか沈めたりするけ、潮の流れが変わって砂が溜まったりするだーな」
 おっちゃんはそう言うと、沖を眺めながらため息を一つだけついて帰っていった。
◇      ◇
 ビーチコーミングのビーチはもちろん浜辺。コーミングは櫛のコーム(comb)にing。櫛でとかすように砂浜を探索することを言う。現金はたまにしか落ちていないかもしれないが、とくに荒れた日の翌日などは、様々なお宝が打ち上げられている。
 とは言っても、誰もが価値を認める物はほとんどなく、マニアックな収集家か、ビーチコーミングそのものに楽しさを見出すことのできる人でなければ歩いてもつまらない。
 最初に目にとまったのは、十数メートルもある松の木だった。先程のおっちゃんによれば、以前逢束海岸に流れ着いて、砂に埋まっていたものが、時化(しけ)でまた全貌を現したらしい。
 くねくね曲がっているから、海岸の岩場に生えていたのかもしれない。その場所はおそらく韓国。いや、北朝鮮かも…なーんて思いを巡らすのもビーチコーミングの楽しみの一つだ。
 くねくね松に別れを告げ、東に向かって歩くとすぐ黒っぽい鳥の死体があった。死体があれば捜査するのが世の常である。
 大きさはカラスほど。色も黒。ということでガイシャの身元を『カラス』と特定しようとしていたら、谷口隊員が足指の間の水掻きを目ざとく見つけた。さすが日本野鳥の会会員である。
 さっそく図鑑を取り出して鳥の特徴をチェック。なんとクチバシに突起がある。すぐに身元が割れた。『ウトウ(善知鳥)』と呼ばれる海鳥だ。はっきりした死因は不明だが、ここらあたりの海岸にも漂着していた廃油が原因なのかもしれなかった。油が浮いていれば、そこの部分だけ海面が穏やかになり、海鳥は勘違いして羽を休めに降りる。そうして体が油まみれになって死んでしまうのだ。


▲海岸に打ち上げられていた海鳥の死体。ウミスズメの仲間、ウトウ。くちばしの上の突起と顔の飾り羽が目立つ。

 鳥=命の谷口隊員にとって、海鳥が死んでいるのは悲しい出来事のはずなのに、なぜか表情が妙に輝いている。持参のデジカメでガイシャの写真をパチリ。角度を変えてパチリ。そういえば、去年の夏に山川谷の滝を探しに行ったとき、山道の脇にアカゲラの羽と頭蓋骨を見つけて、妙に喜んでいたことがあった。
 そのときのことを彼は、自分が編集発行人となっている《下を向いて歩こう》というミニコミ紙の中で、「新しい滝を見つけたことよりも、アカゲラの頭蓋骨を手に入れたことの方が嬉しかった」と書いていた。
 なんともまぁ、ここまでくれば何も言うことはない。今回も死体を持って帰りたそうだったが、その場では何とか思いとどまった。でも、取材が終わった後のことは誰も知らない。
 ちなみに鳥の死体はもう一つあった。こちらも海鳥で、図鑑を調べると『ヒメウ(姫鵜)』。鵜はなんとなくずる賢いイメージがあるが、死してなお艶やかな緑黒色には、高貴な雰囲気さえ感じられた。同じ死ぬならこうありたいものである。
◇      ◇
 浜辺には細かくちぎれた葦、魚をとる罠やロープなどの漁具、そして大小様々のペットボトルと空き缶が散乱していた。葦はゴミではないからいいとして、漁具は何と説明したらいいのだろう。すべて韓国や北朝鮮で捨てられたものだと信じたいが、たぶんそうではない。
 むろん全部が捨てられたわけではなく、操業中に破損したり流失したりしたものもあるに違いない。しかし、それにしても・・・である。


▲打ち上げられていた漂着物。葦や流木以外に、ペットボトル、サンダルなどのゴミも多い。

 ペットボトルのラベルにはハングルがあふれていた。中味はすべて濃度3.5%の塩水に統一されているかと思いきや、しっかり色つきの液体が入ったままのものも。でも、さすがに飲んでみる勇気はなかった。
 なんとホイールつきのタイヤまであった。これまたMADE IN KOREA。一度抗議に出向いて、ヒィーヒィー言わしたらないけんかいなぁ。風や海流他もろもろの影響で韓国のゴミが日本に流れてくるのはわかる。でも、ゴミを海や川に捨てるのは別の次元の話である。近頃、自動車や電化製品など韓国製が増えているが、ゴミまで輸出して欲しくない。
 防波堤から東に1kmほど往復して、砂浜に下りる石段に座っていたら、先程とは別のおっちゃんがやってきてひとしきり話し込んでいった。昔歩いた山川谷の山桜の話。海草が不作だという話。流木の話その他あれこれ。
 人生の先輩から山や海の話を聞くのはとても興味深い。でも、必ずと言っていいほど出てくるのは、この半世紀中に行われた自然破壊を嘆く声である。それには、自分自身が知らず知らずのうちに加担してきた破壊に対する自戒が込められている場合もある。
 川や海にゴミを捨てるのも立派な自然破壊である。逢束海岸のゴミには確かにハングルが多かったが、普段見慣れないから目立つだけで、割合は圧倒的に国産が多いのだ。