2006年4月12日水曜日

洗川も捨てたもんじゃない〈Peak.37〉



 旧東伯町を流れる2大河川といえば…な〜んてそんなたいそうな川でもないけど加勢蛇川とこの川。
 赤松川と野田川が福永で合流して上郷谷を下る。三保で倉坂川を招き入れ、八橋の東で日本海に注ぐ。そう洗川である。
 僕が子どもの頃、毎日のように遊んだ加勢蛇川はとても近い存在で、たびたびこの番組の舞台になっている。でも、片方の雄・洗川はなんか縁遠い“よそ”の川。だからこれまで一度も登場したことがなかった。というわけで今回は洗川なのだ。


▲ニリンソウ


▲ヒメオドリコソウ


▲オオイヌノフグリ

 その洗川で子どもの頃よく遊んだという朝倉シェルパ隊長(山田在住)の案内で、まず東公文の上手で川を覗いた。三保より下流なら川幅が広くなっていて、河川敷に下りることもできるが、上流はなかなか下りる場所がない。仕方ないので田んぼの畦から川を覗き込む格好になってしまう。
 僕のイメージでは、洗川=泥の多い川。でもその先入観は東公文のひとのぞきで吹っ飛んだ。なんとも川姿がグッドなのだ。
 流れの具合いや石の配置は、渓流のそれに似ている。でも川岸・川底のゴミの多さはお世辞にも渓流とは呼べない。畦からは、流れの中央付近を泳ぐ泥バエ(タカハヤ)が数匹見えた。
◇      ◇
 今回の番組は、里山ならぬ“里の畦と川”がテーマ。あっちこちの畦に、つつましくも可憐に咲く小さな花や、毎年決まった場所に顔を出すフキやヨモギなどの野草を紹介して、ついでに魚なんかも釣っちゃうのだ。
 釣り番組に欠かせないのは小前隊員である。あれは忘れもしない去年の夏。彼は上鳥池に浮かんだゴムボートの上で、時間切れ寸前に大物を釣り上げ、『ブラックバスを食う』という画期的?な番組企画を土壇場で成功させた実績を持っている。
 天気が悪く、ロケが延び延びになってしまい、結局決行できたのは放送日の前々日。決行前日になって日程が決まったから、小前隊員に連絡を入れたのも同じく前日になってしまった。
 でもさすがに土壇場に強い小前隊員。すぐさま『OK!』のメールが返ってきた。3度のメシより釣りが好きなのは理解できるけど、サラリーマン隊員なのに、こんなことで仕事はええのかな〜と少しだけ心配になった。
 福永の下手で畦に咲く花々を撮影している間に、小前隊員が釣りポイントを探してきた。
 本流が大きく蛇行し、小さな淵をつくっている場所に、山水らしきものが上から落ちている。淵の上に枝が張り出しているから、あたりが暗く水の中の様子をうかがい知ることはできないけど、魚のいる気配がビンビン伝わってきた。
◇      ◇
 小前隊員は自前ののべ竿。僕と谷口隊員は某ホームセンターで買った、エサ以外全部揃っている“小魚釣り用”ののべ竿を振った。
 エサはミミズと匂いつきワーム(小前隊員持参)、そして魚肉ソーセージ。
魚肉ソーセージは、ひと月ほど前にうちの田んぼ脇の川で、泥バエを釣って試してみたら、なんと入れ食いだったのだ。ちなみに僕の好きなのは日水ブランド。きっと泥バエもそうに違いない。
 小前隊員が一投目で、思いがけない魚を釣り上げた。


▲小前隊員恐るべし。1投目で赤バエを釣り上げてしまった。

 なんと、赤バエ(カワムツ)だ。
 赤バエは、僕が小学生の頃は加勢蛇川にもたくさんいた。流れの速い場所にはいないが、水が停滞気味で湧き水が混ざっているようなところに多くいたように思う。
 春から夏にかけてオスは腹が濃いオレンジ色(婚姻色)になり、頭というか顔のあたりに固いブツブツが出て、触ると痛かった。
 その赤バエは、川原の砂利採取による濁り水で、ザッコ(カジカ)と共にあっという間に加勢蛇川から姿を消してしまった。
 僕はすぐに、魚信のなかった魚肉ソーセージをミミズに替えた。たぶん赤バエは日水ブランドが嫌いなのだ。
 するとすぐに魚信があって僕にも赤バエが上がってきた。苦節?35年くらいか。ほんとに久しぶりの対面だった。
◇      ◇
 1年ぶりに見るアユは、恋人と久しぶりに会ったような気持ちにさせられる。35年ぶりに見た赤バエは、小学校のとき転校していった仲良しのテッちゃん(仮名)に出遭ったときのような懐かしさがあった。


▲釣り上げた赤バエを見てニンマリする隊長とカメラマン見習いの朝倉隊員

 洗川の上流部は川幅が狭くて、砂利採取や工事でいじられなかったから、ずっと赤バエが生き続けてきたんだなぁ…。
 僕が感慨にふけっていると、隣では谷口隊員が頭上の枝に針をひっかけていた。
 僕は、もう一匹赤バエが見たくて、静かにまた竿を出した。