2006年3月20日月曜日

要害山のいま・むかし〈Peak.36〉



♪要害山を切りひ〜ら〜き〜

  文化と平和 うち立〜て〜る〜♪


            (東伯小学校校歌の一部)


 何を隠そう僕は東伯小学校の出身。昭和37年の4月に入学してから6年間、ことあるたびにこの校歌を歌っていた。 
 当時は歌詞の意味など深く考えてみもしなかったが、 “要害山”はなんとなく気になっていた。ていうか、その頃は要害山=溶岩の山と思っていたことを、この原稿を書きながら思い出した。
 琴浦・北栄には国土地理院が正式に認めた名前のついた山は数えるほどしかない。実際に数えてみると、琴浦町には㈰烏ヶ山(1448m)㈪矢筈ヶ山(1359m)㈫甲ヶ山(1338m)㈬勝田ヶ山(1149m)㈭飯盛山(953m)&船上山(687m)の6峰。残念ながら要害山は認知されていない。
 北栄町にはないわなぁ〜と思ったけど、念のため国土地理院の2万5千分の1地図を確認したら、ん?あるがな。
 蜘ヶ家山(くもがいやま)。曲(まがり)にあるこの山は、たった177mしかないのに地図に名前が載っている。
 そーか、北栄町にもあったんだ。と思ってページを閉じかけたら、ん?もうひとつあるがな。茶臼山(国坂)。え?94m?きゅうじゅうよんめ〜とる〜!?
◇      ◇
 国土地理院に電話して、名前掲載の基準を聞いてみた。
 「地図に掲載している山の名前は、すべて当該自治体に照会して決めたものです」
 国土地理院の担当者の口調は淡々としていた。平たく言ってしまえば、その山が役場の担当課に認知されているか、そうでないかが地図に名前が載るか載らないかの分かれ目だという。つまり、“裏山”とか“前の山”とかではなしに、ちゃんと地域で多くの人々から“○○山”と呼ばれていることが大切なのだ。
 なら、なんで要害山は地図に名前が載ってないんだろうなぁ。少なくとも東伯小学校の出身者はたぶん全員が知っているし、同じ琴浦町の飯盛山とかよりはよっぽど地域に認知されているのに…。まあいい。愚痴を言っても始まらん。


▲尼子氏が出城を構えた妙見山(琴浦町大杉)

 で、小学生の時は“溶岩の山”だと思っていたその要害山が3月の番組のターゲットになった。
 高さは114m。地図に名前は記されていなくとも、標高はちゃんと掲載されている。平成7年までは東伯小学校が建っており、校舎が移転してから跡地は荒れ放題になっている。
 しかし、いくら“山”が付いているとはいえ、100mそこそこの“ガキ山”に登ってお茶は濁せない。われわれは登山隊なのだ。
 と言いながらも最近は山に登らないことが多いが、今回は『要害』にこだわることにした。
◇      ◇
 要害??広辞苑を引けば㈰地勢が険しく、敵を防ぎ味方を守るのに便利な地㈪砦・城塞、とある。
 では、何を何から守っていたのだろう。郷土史に詳しい人に電話して聞いたり、ネットで調べてみると、なかなか興味深いふるさとの歴史が明らかになった。
 簡単に言えば、戦国時代のある時期、この地が尼子氏と毛利氏の争乱の舞台となり、羽衣石城(湯梨浜町)を拠点とする尼子氏が妙見山(琴浦町大杉)に出城を構えた。そのとき八橋城を支配していたのは毛利氏で、尼子氏が毛利氏の攻撃に備えるために、この山を要害として位置づけたのだ。
 中学・高校と歴史を教えられても、まったく身につかなかった。というか興味がわかなかった。僕だけじゃなく多くの同級生が「受験に必要だから」という理由だけで、日本史や世界史に接していたように思う。
 ところがまぁなんと。目からウロコ。ヒョウタンからコマ。犬も歩けば棒に当たる。ちょっとだけ興味を持って勉強すれば、すぐに面白くなり、本格的に郷土史を勉強しちゃおうかなぁ、なんて気にさせられる。
 僕が教わった先生も、身近なふるさとの歴史から、も少しわかりやすく教えてくれれば、も少し歴史に興味がわいて、僕もも少し違う人生が開けたかもなぁ。


▲要害山。尼子氏が毛利氏の攻撃に備えこの山を要害と位置づけた(琴浦町公文)


▲立派な石垣が残る八橋城跡(琴浦町八橋)

◇      ◇
 ロケの日、♪要害山を切りひ〜ら〜き〜♪の歌詞を撮影しようと東伯小学校を訪ねた。
 応対してくれた先生に、僕は軽く口ずさみながら、「要害の丘 空晴れて〜♪」っていう運動会の歌もありますよね!?って自信満々に聞いたら、今はそんな歌ないですね〜ってあっさり言われた。まぁ40年近くも前のことだから仕方ないけど、なんだかなぁ・・・。
 ところで要害山には今、猿が出没するとか、しないとか。通学中の子どもの目撃情報らしいが、昔はあちらこちらで人の前に現れていたという。
 上郷の奥部ではここ数年来、山を切り崩す道路工事が行われている。
 もしかしたら猿たちはそのせいで奥山を追われ、要害山に逃げ込んできたのだろうか。
 敵を防ぎ味方を守るのに便利な地を『要害』と呼ぶなら、猿たちが今この要害山で守っているのは、自分たちの命そのものなのかもしれない。