去年も書いたような気がするけど、この前正月だったと思ったら、あっという間に年末になってしまった。
というわけで今号は年末恒例企画。矢のように過ぎ去ったヒィーヒィー隊の2006年を振り返ってみようかな。
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1月の放送は、100円バスに乗って三本杉で降り、そこから歩いて一向平を目指した。途中、道ばたに一本の赤梨の木を見つけた。樹高が柿の木のように高く、それまで車で幾度となく走っても見落としてしまっていた木。歩かなければ何も見えないことを改めて思い知らされた。
2月は冬の定番、ジャンボかまくらづくり。今年も『らくらく山歩会』のメンバーに手伝ってもらった。
歳はいっても(失礼!)、かまくらづくりで子どものようにはしゃげるのはとても素敵なこと…さすが山おんな。
出来上がったのは直径4m、高さ3mのジャンボなやつ。11人が中に入り、七輪を囲んでお汁粉とカキ餅をいただいた。
山歩会のメンバーに誘われて参加してくれた英語指導助手のキャサリンは、米国式の3段雪だるまをつくった。
4月は大河ロマン。僕の母校・東伯小学校の校歌にある♪要害山を切〜りひ〜ら〜き♪の『要害山』の歴史をひもといた。
な〜んて言うとたいそうだけど、なんで“要害”の名が付けられたのか知りたかったのだ。
で、なんでかというと…戦国時代のある時期、この地が尼子氏と毛利氏の争乱の舞台となり、羽衣石城(湯梨浜町)を拠点とする尼子氏が妙見山(琴浦町大杉)に出城を構えた。そのとき八橋城を支配していたのは毛利氏で、尼子氏が毛利氏の攻撃に備えるため、公文にある小さな山を“要害(=城砦)”として位置づけた…からなのだ。
中学・高校と歴史を教えられても、まったく身に付かなかったけど、ちょっとだけ興味を持って調べてみれば、すぐに面白くなって、本格的に郷土史を勉強しちゃおかなぁ、なんて気にもさせられた。
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5月から8月は4連チャンで川関係。暑いときは水の中に限る、こともあるのだけれど、ちゃんとした理由もある。『山が海をつくる』ことは、近年あちらこちらで声高に叫ばれているが、山と海をつなぐ川のことが少しおろそかにされている気がしてならない。だからわが隊は川にこだわるのだ。
洗川では赤バエを釣った。子どもの時に加勢蛇川で見て以来だから、実に35年ぶりくらいの対面。食べて美味しい魚ではないけど、橙色と群青色を基調にした派手目の体色がなんとも懐かしかった。
由良川ではカヌー。加勢蛇川では小魚を追いかけた。泥バエ、ウグイ、ゴズ、サーランドジョウ、ザッコ…それなりに魚種はいるが、なんとも密度が薄い。アユの姿は河口近くでしか見つけることができなかった。
川の中の生き物は、その川の現在の実力を映し出す鏡のようなもの。アユのいない川は“水路”と呼んでさしつかえない。
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9月のテーマは里山のキノコ。小松林の中でヌメリイグチ、ハツタケ、アミタケを採り味噌汁にした。年配の人たちにとっては、昔よく食べていた懐かしいキノコだったようで、「あれ、場所はどこだっただいなぁ」と、何人もの人に尋ねられた。
昔は、畑のそばの林などに生えていて、秋になると採って食べていたのに、林がなくなって、キノコのこともすっかり忘れていたという人が多かった。
そういえば、10月になって今年初めて山らしい山に登ったんだった。
言い訳するわけじゃないけど、今、通行止めとか登山禁止とかで、山にはとても行きにくい環境にあるから、少しは大目に見てもらわないけんのかな。
ともあれ、今年はスズメバチにも刺されなかったし、隊員全員ロケ中のケガはなかったので良かった、良かった。