今回は山登りである。かまくらづくりでもビーチコーミングでもブナの実験でもない。由緒正しい山登りである。あまり山に登らない登山隊だから、ほんとに山に登った時は強調しておかんと・・・ということでしつこく言うが、今回は山登りである。
目指すは大山連峰の一角にあるキリン峠。なんでカタカナなのかはわからないが標高は1,405m。東壁の南の端というややこしい位置にある。
朝早く出発しなければならなかったので鏡ヶ成キャンプ場に前泊することにした。
入り口にある管理棟がなんともデカい。扉が閉まっていたので、中にどんな設備があるかはわからないが、2年前、烏ヶ山に登るためにここに泊まったときはまだ工事中で、「キャンプ場に立派な人工物を造ってどうするだい」と苦々しく思ったことを思い出した。
こんなもん造るくらいなら、烏ヶ山の登山道を直せばいいのに・・・今回も同じことを思いながら、区画のない一番安いサイト(1,000円)にテントを張った。ちなみに一番高い電源付きサイトは3,500円。サイト料の他に1人につき500円とられる。
前泊するのは、僕と田村隊員、朝倉シェルパ隊長の3人。“トッキョ キョカキョケー”とさえずるホトトギスを笑いながら、明るいうちから晩飯を食い、大人らしく静かに飲み、さっさと寝た。
◇ ◇
約束通り朝6時にふもとから他の隊員がやってきた。谷口隊員、小前隊員、そして今回初参加の末石ロドニー(R.D.Swasey)さん。琴浦町下大江在住の関西弁を話す大工さんである。テントは朝露に濡れていたのでそのままにし、帰りに片付けることにした。チェックアウトは昼まで、と決まっているが、他には客がいないから許してもらおう。
総勢6人。ちょうど7時に江府町・鍵掛峠近くの県民の森入り口から歩き始めた。
そこから鳥越峠を越えて琴浦町の地獄谷へ、というのがいつものパターンだが、今回はちと違う。その地獄谷を山の上から眺めるのだ。
20分ほど歩くとブナの倒木が目立ち始めた。
去年十数個上陸した台風の置き土産である。このあたりのブナは比較的若い木が多いが、その中でも大きな木が多く倒れていた。ブナの寿命400年、半ばの絶命や悲し・・・。
▲昨年の台風で倒れたブナの根っこをバックに前田隊長(右)と末石新隊員
撮影に時間がかかり、当面の目標である鳥越峠まで2時間かかった。
峠のてっぺんは交差点になっている。まっすぐ下りると地獄谷。右折すれば烏ヶ山。左折すれば大山の峰々へと通じている。
ぞろぞろと6人が登り揃うと、てっぺんのわずかな平場はいっぱいになった。
◇ ◇
6月の半ばだというのに青空が広がり、様々な野鳥の鳴き声が降り注いでくる。“トッキョ キョカキョク”(ホトトギス)
“ポポッ ポポッ”(ツツドリ)
“カッコー カッコー”(カッコウ)
他の鳥に自分が生んだ卵を育てさせる『托卵』3兄弟の鳴き声がみんな聞こえる、と野鳥好きの谷口隊員が喜んだ。
峠を左折するのは初めてだった。
都会だろうと田舎だろうと、そして山だろうと、初めて歩く道はなんだかわくわくする。中低木と潅木、急坂と緩坂、いろいろ織り交ぜながら現れて飽きることがない。
数年前から大山頂上の縦走は禁止されているが、キリン峠はやせ尾根の縦走路が始まる手前にあり、知る人ぞ知る隠れた人気スポットになっているという。
とはいえ結構つらい。途中から得意の“休憩の合間に歩く”モードに突入した。このモードの長所は、楽なこと。そして短所は、こらえ性がなくなり時間がかかること、である。
「なんでこんな真っ直ぐな道をつくるだいや」と道にまで文句を言い、盛大にヒィーヒィーあえぎながら難所の急坂を登った。
◇ ◇
鳥越峠から1時間半ほど。キリン峠に通じる尾根道から見る大山の峰々は絶景だった。中でも槍ヶ峰。圧倒的な存在感で鋭い穂先を天空に向けている。 なんせ、近い。山肌がすぐそこにある。崩落が進む大山を象徴するかのように、ときどき石が斜面を転げ落ちる音が聞こえる。
▲崩落を続ける大山の東壁が眼前に迫る。ここから先は南壁と東壁の両側から侵食を受けた、険しいヤセ尾根が続く。
米子から望む伯耆富士と呼ばれる優美な山容とは対照的な、荒々しいもう一つの姿がそこにあった。
初めての角度から見る烏ヶ山、矢筈ヶ山、甲ヶ山。残念ながら地獄谷の流れは見えなかったが雪渓がまだ残っていた。
初夏の東壁をしばし楽しんで、来た道を少し戻り、日陰の平らな場所で昼飯にした。レトルトご飯にレトルト親子丼をかけながらロドニーさんに聞いた。
「来月は、大栄町の堤でカヌーに乗ってブラックバスを釣り、焼いて食っちゃおうと思ってるんだけど、次も来る?」
「来るよ」
「隊員になる?」
「なるよ」
う〜む。そーか。とうとうわが隊も国際的になってきたぞ。
というわけで、今年二人目の新隊員誕生!
めでたし、めでたし〜。