大休峠の"大休"は「たいきゅう」ではなく「おおやすみ」と読む。
一向平から、川床から、船上山から、そして大山寺から。4つのルートが大休峠の避難小屋で交わる。初夏の日曜日の昼時ともなれば、「ここでビールを売れば儲かるだろうな」と思うくらいたくさんの人で賑わう。
とりわけ景色が素晴らしいわけでもない。むしろ見るべきものは何もない。しかし多くの人で賑わうのだ。くやしいが賑わうのだ。意地になっているのかもしれないけど賑わうのだ。
初めて行ったのは5年ほど前。ブナの新緑を撮影しようと、谷口隊員と二人で、カメラと三脚を担いで出かけた。
▲カメラに加え三脚を担いで、急な斜面を下る田村隊員
TCBの仕事は体力が命。よく、「企画して編集して原稿も書いて、頭を使う仕事で大変ですねぇ」などと言われることがあるが、大変なのは頭ではない。体なのだ。だいいち、「大変ですね」なんてねぎらわれるような上等な頭を持った社員は、自慢じゃないが一人もいない。取材で毎日、9キロのカメラと8キロの三脚を持って動き回るためには、頭の中味も筋肉であることが必要なのだ。
ん?なんの話だった?そうそう、新緑を撮影しに出かけた話。体力にはそこそこ自信があったが、大休口から峠へ続くつづら折れの急坂はけっこうきつかった。
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当時も今も、5月の東大山は清々しい息吹であふれる。ブナ、ミズナラ、カエデ類−−木毎に異なる緑色は、初夏の日差しを吸い込んだり、はね返したり−−一向平を出発して2時間もたたない うちに、僕たち二人はすっかり東大山のとりこになってしまっていた。ヒィーヒィーどころか、ゼーゼー言いながら急坂を登りきると横手道。視界が開け、前方には大山の東壁、左手には烏ヶ山が威容をあらわす。
驚いたのは、横手道の周辺一帯に生えているブナが、まるで白樺みたいに見えたことである。新緑の季節だというのに、樹についている葉が少なく、全体が白っぽく見えたのだ。
言い換えれば、まるでブナの墓場みたいな印象だった。
▲大休峠周辺はブナの林が広がり、四季を通して美しい風景が楽しめる
番組の中では、ブナが半枯れのような状態になっている理由を、過去の台風被害と寿命の2点に結論づけたが、酸性雨など地球規模の環境問題との因果関係も、これから調べていかなければならないだろう。
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旅行社風に表現すれば、わが登山隊の最少催行人員は3人である。つまり、最低3人はいなければ、山にも川にもどこにも行かんよ、ということである。でも、3人しかいなければ、1人当たりの荷物は重くなるし、炭火焼セットも運べない。5人全員揃うのがベストだが、なんとか4人は確保したいところである。それなのになんと今回は、隊長の僕と谷口隊員、そして田村カメラマンの3人だけ。旅行社的に言えば、とてもみっともない、最少催行人員でのツアー決行となった。頭の中味には何にも期待していないけど、体を使わなくてはならないはずの浜本隊員と朝倉シェルパ隊長が、仕事の都合で来ることができなかったのだ。
決行の日までずーっと雨が続き、なかなか山に入ることができないでいた。天気予報は傘マークだらけ。放送日も繰り延べざるを得なかった。しかし、待ってばかりはいられない。見切り発車みたいな形で11月13日の午後、小雨の中を大休峠の避難小屋に入った。
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晩飯は"キノコたっぷりスキヤキ風鍋"を計画していた。キノコはもちろん現地調達である。暗くならないうちに、小屋の周辺で物色を始めた。採れなきゃただのスキヤキになるだけなのだが、雨が続いていたせいか、いともたやすく3人の晩飯に十分な量のナメコとボタヒラ(ムキタケ)を確保することができた。
小屋の中は、もちろん雨はしのげるが、電気があるわけじゃないし、炭が置いてあるはずもない。重かったから、明るいランタンも持ってこなかった。
小屋の外は3度。中はそれでも7、8度はあるだろうか。暖房関係は携帯用のガスコンロの火と鍋から立ちのぼる湯気だけが頼りだ。
山用にと、倉吉のユニクロで仕入れた1本1,000円のフリースのズボンと、これまたフリース製で、2足で1,000円の靴下を履いた。
当然ながら、アルコール飲料を摂取して内側から温もる作戦も実践したが、温もる前にあえなく在庫切れ。
となると、寝るしかない。8時すぎにはすごすごと寝袋に退散したのであった。その寝袋内での寒さに震えた一夜は、思い出すと涙が出そうなのでここには書かないでおく。
■ブナ・メモ
ブナ科ブナ属。温帯に自生する広葉樹の代表。漢字では「木へんに無」と書く。その保水性から緑のダムとして注目されているが、水分が多く建材などへの利用がしにくかったため、以前はあまり重要視されていなかった。ブナ林は何100年かかって森の最終的な形として形成される。極相林と呼び、以降は安定して何世代にもわたり同じ林が続くことになる。