10月に入ってやっと過ごしやすくなってきたので、北栄町の山に登ることにした。登山隊だから山に登るのは当たり前と思うなかれ。中年で体がかなり弱ってきているから、汗だらだらの登山はしたくないのだ。
目的地は茶臼山。ん?どこにある山?と首をかしげる人も多いと思うけど北条にある。標高は恥ずかしながら94m。940mではない。れっきとした94mである。しかも国土地理院の25000分の1地図に名称が記載されている家柄(山柄?)の良い山なのだ。
北栄町には正式に名前のついた山が二つしかない。もう一つは蜘ヶ家山(くもがいやま=曲)。こちらは標高177mだけど、簡単に頂上まで車で行けてしまう。だからアタックに値する山は茶臼山しかないのだ。
でもなぁ、たった94mかぁ。こんな山に登った番組つくったら非難ゴウゴウだよなぁ・・・なんて思いながら茶臼山のことを色々調べていたら、なんと茶臼山は“山の佐藤さん”であることがわかった。日本で一番多い山の名前で、なんと全国各地に200以上もあるという。以前、飯盛山のことを“山の佐藤さん”と呼んだような記憶があるけどそんなことはどうでもいい。飯盛山は“高橋さん”に変更しよう。
でも94mなら山じゃなくって丘だよなぁ・・・とも思いながら、山の定義&丘の定義を調べたら「低い山を丘という」としか書いてなかったからノープロブレム。さらに北条出身の浜本隊員によれば、北条幼稚園・北条小学校・北条中学校の校歌にはすべて茶臼山が登場するという。ならば一度は登らねばなるまい。というわけで今回は茶臼山なのだ。
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「茶臼山の全体像を見るなら蜘ヶ家山ですよ」と谷口隊員が言うので車を走らせた。蜘ヶ家山には『山菜の里』なんて看板があり、山菜の生息地にはご丁寧にワラビやウド、ツワブキなどの表示板が立てられていた。春になったら早い者勝ちで採るのかなぁと思っていたら、どうやら「採取してはならぬ」らしい。採れない山菜なんて雑草と同じだがな。【山頂から南側を望む】
谷口隊員の言う通り、蜘ヶ家山の山頂からは茶臼山がみごとに俯瞰できた。茶臼とは当然、茶葉を粉(抹茶)にする石臼のことだろうから、山の形状を見ながら「どこが茶臼だら〜か?」と一生懸命考えたけどわからなかった。
北条歴史民族資料館の某担当者によれば、その昔、近在でお茶をつくっていたから茶臼山と名づけられたという。なら『茶摘山』とか『茶畑山』にすればいいのに、とは思ったけど茶臼山でもいっこうに差し支えないから深くは考えないことにしよう。
ところで全国的に一番有名な茶臼山は、大阪・天王寺にあるヤツかな。なぜ有名かと言えば『大阪冬の陣・夏の陣』の舞台になったから。今をさかのぼること400年ほど前、1614年ないし1615年のこと、徳川家康は天王寺の茶臼山に陣を構え、敵対する勢力を一掃し、なが〜い徳川時代をスタートさせたのだった、かな?
聞けば、北条の茶臼山にも城跡らしきものが残っているという。きっと戦国時代には要害の山として重宝されたのだろう。
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そうそう茶臼山に登らねば。低いから急がなくてもいいのだけれど、まずは北条小学校前の歩道橋を渡って、山にとりついた。
【歩道橋が登山道入り口】
5合目あたりまでは獣道みたいな登山道があった。道の両脇にはツワブキが菊に似た黄色の花を咲かせていた。
5合目を過ぎると踏み跡の代わりに、くっつき植物とトゲトゲ植物が登場した。空中には数十匹の大きな女郎グモが、ちょっとやそっとでは切れない丈夫な糸であちらこちらに網を張りめぐらしていた。
尾根筋にはたくさんの古墳があった。松の切り株もたくさんあった。マツクイムシで枯れ、数年前に切り倒されたという。山全体に落葉広葉樹&照葉樹がバランスよく配置されているから、以前は食用キノコ類が豊富に生えていたに違いない。
【ツワブキの花】
山頂からは、木々の間から周囲の景色がまばらに見えた。道も山頂も、も少し整備すればいいのだろうけど、たくさんの地権者が存在する私有地らしいからそれも叶わない。
ほんの20分もあれば山頂に立てる茶臼山。お手軽・お気軽なプチ登山にはもってこい。のはずなんだけど、ちょっとなぁ・・・。頭には蜘イギがいっぱいつくし、ふくらはぎの辺はトゲトゲにやられて痛いし、茶臼山には悪いけど、秋らしくもすこし爽やかな山にならんと、もう登る気がせんなぁ・・・。