烏ヶ山は、地震以来ずーっと登山禁止のままだけど、どうなっとるんかなぁ・・・。
5月のこの企画で、朝飯前に矢筈ヶ山に登った時、南側にそびえる勇壮な烏ヶ山を眺めながらふとそんなことを思った。早速、その場で「6月は烏にしょうか」と提案したら、普段はおっとりした田村カメラマンがすぐに反応した。
「えーっ、カラス!? またバードウオッチングですかぁ?」
腹が減って頭がおかしくなったんじゃないか、と思って無視していたら、谷口隊員はしっかりと理解してくれていた。
「何で登山禁止が長引いているのか、調べてみるのもいいですね」
さすが根っからのナチュラリストである。「山=キノコ。山=鳥」という単純発想しかできないカメラマンとは自然への思い入れが違う。年齢が上だから、という理由だけで筆頭隊員の称号"その?"を与えてあるのに、こんなことじゃ何年たっても隊長位を禅譲できないではないか。
というわけで、朝飯前の山頂ミーティングは、登山隊の将来に警鐘を鳴らすとともに、「6月はカラス」という意思統一をもたらしたのであった(ただ1人を除いて…)。
「今どき、わざわざオートキャンプ場にする
なんて。そんな発想だから烏ヶ山を2年8か月も登山禁止にせないけんだがなー」と苦々しく思いながら、テントの設営に取りかかった。
今回は、鏡ヶ成キャンプ場に1泊して、翌朝5時から烏ヶ山の山頂アタックを始めようという計画である。
朝倉シェルパ隊長は、仕事の都合で、一足後れて合流することになっている。
「ええなー、シェルパ隊長は。テントや晩飯の準備ができてから来たらええだけなぁ」
前回、1日後れで合流して、冷えたビールを持ってこさせられた浜本隊員は不平たらたらである。
晩飯は焼肉。アウトドアライフを極めようという我々が、そんな安易な献立でいいのか?とは考えたが、「今回は飯を食うところの撮影はせんし、まっ、ええか」と簡単に妥協してしまった。
実は、もう一つ妥協してしまったことがあった。
ある忘れ物をしたことに気づいていたのに、得意の「まっ、ええか」で(家へ)取りに帰らなかったのである。
その忘れ物とは、5月の矢筈行きの時に揃えたヘッドランプ。隊長自ら、「これは名誉ある隊員のあかしだ」と隊員たちに分け与えたいわくつきの品であった。
8時前になってようやく朝倉シェルパ隊長が到着した。取材が長引いたのに加え、ヘッドランプを忘れたのに気づいて家へ取りに帰ってきたという。
聞かれもせんのに、いらんことを言う奴だ。おかげで、「シェルパのくせして、何の準備もせんとは何事だ」と文句を言ってやろうと手ぐすね引いていた浜本隊員の矛先が、あろうことかこちらに向けられてしまったのだ。
「たーいちょーう」
さっきまでは、敬意に満ち満ちていた浜本隊員の口ぶりが明らかに変わった。
「朝倉くんは、取りに帰ったそうですよー」
「このキャンプ場には照明があるだけ、ヘッドランプはいらんがないや」
「そういう問題じゃないでしょう」
いかん。どうも分が悪い。こういう時は、がばがば酒を飲んで酔っ払ってしまうに限る。
隊員たちの頬を照らすカンテラの灯り。冷たい風が時おり吹きぬけ、木々の枝が騒ぐ。
「鏡ヶ成の夜はなんだか寂しいなー」と思いながら、足もとには空き缶が増えていった。
何だか調子が悪い。前夜、「僕はもう寝る時間ですから」と酒を飲むのを早々にきりあげて一番早く寝たくせに起きてこない谷口隊員を叱る気力もない。
「風邪かなぁ。それとも枕なしで寝たせいかなー」などと思いをめぐらしながら、準備を急いだ。
テントをそのままにして、5時すぎに出発した。最も一般的な烏ヶ山登山ルートは、キャンプ場から県道を横切ったところにその登り口がある。
[鳥取県西部地震のため登山道が崩壊し、とても危険なため登山を禁止します]
さも当然のように立てかけられた看板が、妙に腹立たしい。危険かどうかは登山者が判断すればよい。その責任は登山者が負えばいいのだ。この国特有の幼稚な自然管理は、国民から"真に自然に親しむ意識"を奪っている。オートキャンプ場や親水公園などはその典型だろう。
なんだか急に社会派真面目モードになってしまったが、歩き始めて少しして、頭痛と吐き気が襲ってきた。なんと、調子が悪かったのは二日酔いモードに突入していたからだったのだ。ハハハ…。
烏ヶ山の登山道は、ほぼ一直線に切ってある。ということは、山頂までの距離は短いが、一歩一歩がとても「エラい」ということなのだ。二日酔いの体には何とも厳しい現実である。だが、隊長たるものそんなことにひるんではいられない。「少し進んで、ながーく休むのが登山の極意だ」と隊員たちに教授しながら歩を進めた。
確かに登山道が崩れ、大きな石が不安定に横たわっているが、ルート探しは、それほど難しくはなさそうだ。
実は、この登山を決行する何日か前、登山禁止の看板に地元の行政として名を連ねている江府町役場の担当者に、禁止が長引いている理由を電話で問い合わせていた。
返答は「修復には莫大な費用がかかるので、禁止を解く予定はありません」というもの。
何とも役場職員らしい答えに、それ以上突っ込んで問いただす気も失せたのだが、実際その場に立ってみると、「ロープ1本張れば何てことないがな」というのが率直な感想だ。
登山禁止にはなっているが、登山道はきっちり踏み固められており、実際にたくさんの人が登っていることがすぐわかる。事実この日も我々の他にも山頂に登った人がいた。
美しい山はみんなの財産である。いつまでも禁止の看板を盾にして逃げることは許されない。
またまた社会派真面目モードになってしまったが、二日酔いモードは、このあたりから徐々に改善し始めた。同時にまわりの美しさが一層際立ち始めたのがわかる。
初夏の爽やかな風。目に痛いほどのキャラボクの深い緑。烏ヶ山山頂の男性的な姿。そしてその後ろに控える大山の南壁も素晴らしく魅力的だ。
◇ ◇
撮影と休憩を繰り返したとはいえ、何とスタートから4時間もかかって山頂に到着した。通常の倍の時間を費やしたことになる。
「富士には月見草がよく似合う」と言ったのは誰だったろう。烏ヶ山には中年登山隊が似合ったかどうかわからないが、山の飯には、やはり冷えたビールが良く似合った。
久しぶりの烏ヶ山がプレゼントしてくれた360度のパノラマ。今度この景色を見るのは、いつになるのだろうと思いながら、その全景をしっかりと網膜に焼き付けた。
そして氷詰めにして持ってあがってきた缶ビールを性懲りもなく飲みながら、隊長として心掛けなくてはならない大切なことを心に刻んだ。
ヘッドランプを絶対に忘れるな?
「えーっ、カラス!? またバードウオッチングですかぁ?」
腹が減って頭がおかしくなったんじゃないか、と思って無視していたら、谷口隊員はしっかりと理解してくれていた。
「何で登山禁止が長引いているのか、調べてみるのもいいですね」
さすが根っからのナチュラリストである。「山=キノコ。山=鳥」という単純発想しかできないカメラマンとは自然への思い入れが違う。年齢が上だから、という理由だけで筆頭隊員の称号"その?"を与えてあるのに、こんなことじゃ何年たっても隊長位を禅譲できないではないか。
というわけで、朝飯前の山頂ミーティングは、登山隊の将来に警鐘を鳴らすとともに、「6月はカラス」という意思統一をもたらしたのであった(ただ1人を除いて…)。
◇ ◇
6月3日夕。大山・鏡ヶ成キャンプ場。下界では真夏日を記録していたが、さすがに約1,000mの標高。半袖では寒い。皆が上着を着込んだ。サイトのすぐそばでは5時を過ぎたというのに、オートキャンプ場に改装するための突貫工事が進められている。「今どき、わざわざオートキャンプ場にする
なんて。そんな発想だから烏ヶ山を2年8か月も登山禁止にせないけんだがなー」と苦々しく思いながら、テントの設営に取りかかった。
今回は、鏡ヶ成キャンプ場に1泊して、翌朝5時から烏ヶ山の山頂アタックを始めようという計画である。
朝倉シェルパ隊長は、仕事の都合で、一足後れて合流することになっている。
「ええなー、シェルパ隊長は。テントや晩飯の準備ができてから来たらええだけなぁ」
前回、1日後れで合流して、冷えたビールを持ってこさせられた浜本隊員は不平たらたらである。
晩飯は焼肉。アウトドアライフを極めようという我々が、そんな安易な献立でいいのか?とは考えたが、「今回は飯を食うところの撮影はせんし、まっ、ええか」と簡単に妥協してしまった。
実は、もう一つ妥協してしまったことがあった。
ある忘れ物をしたことに気づいていたのに、得意の「まっ、ええか」で(家へ)取りに帰らなかったのである。
その忘れ物とは、5月の矢筈行きの時に揃えたヘッドランプ。隊長自ら、「これは名誉ある隊員のあかしだ」と隊員たちに分け与えたいわくつきの品であった。
8時前になってようやく朝倉シェルパ隊長が到着した。取材が長引いたのに加え、ヘッドランプを忘れたのに気づいて家へ取りに帰ってきたという。
聞かれもせんのに、いらんことを言う奴だ。おかげで、「シェルパのくせして、何の準備もせんとは何事だ」と文句を言ってやろうと手ぐすね引いていた浜本隊員の矛先が、あろうことかこちらに向けられてしまったのだ。
「たーいちょーう」
さっきまでは、敬意に満ち満ちていた浜本隊員の口ぶりが明らかに変わった。
「朝倉くんは、取りに帰ったそうですよー」
「このキャンプ場には照明があるだけ、ヘッドランプはいらんがないや」
「そういう問題じゃないでしょう」
いかん。どうも分が悪い。こういう時は、がばがば酒を飲んで酔っ払ってしまうに限る。
隊員たちの頬を照らすカンテラの灯り。冷たい風が時おり吹きぬけ、木々の枝が騒ぐ。
「鏡ヶ成の夜はなんだか寂しいなー」と思いながら、足もとには空き缶が増えていった。
◇ ◇
翌朝4時半。まだ薄暗いのに「トッキョキョカキョク」とホトトギスがテントのすぐそばで鳴く。寒い。コンロで湯を沸かしコーヒーを入れた。何だか調子が悪い。前夜、「僕はもう寝る時間ですから」と酒を飲むのを早々にきりあげて一番早く寝たくせに起きてこない谷口隊員を叱る気力もない。
「風邪かなぁ。それとも枕なしで寝たせいかなー」などと思いをめぐらしながら、準備を急いだ。
テントをそのままにして、5時すぎに出発した。最も一般的な烏ヶ山登山ルートは、キャンプ場から県道を横切ったところにその登り口がある。
[鳥取県西部地震のため登山道が崩壊し、とても危険なため登山を禁止します]
さも当然のように立てかけられた看板が、妙に腹立たしい。危険かどうかは登山者が判断すればよい。その責任は登山者が負えばいいのだ。この国特有の幼稚な自然管理は、国民から"真に自然に親しむ意識"を奪っている。オートキャンプ場や親水公園などはその典型だろう。
なんだか急に社会派真面目モードになってしまったが、歩き始めて少しして、頭痛と吐き気が襲ってきた。なんと、調子が悪かったのは二日酔いモードに突入していたからだったのだ。ハハハ…。
烏ヶ山の登山道は、ほぼ一直線に切ってある。ということは、山頂までの距離は短いが、一歩一歩がとても「エラい」ということなのだ。二日酔いの体には何とも厳しい現実である。だが、隊長たるものそんなことにひるんではいられない。「少し進んで、ながーく休むのが登山の極意だ」と隊員たちに教授しながら歩を進めた。
◇ ◇
歩いてヒィーヒィー、休んでもヒィーヒィー。そんな繰り返しがおよそ2時間半。森林限界を越えてようやく崩壊現場に着いた。確かに登山道が崩れ、大きな石が不安定に横たわっているが、ルート探しは、それほど難しくはなさそうだ。
実は、この登山を決行する何日か前、登山禁止の看板に地元の行政として名を連ねている江府町役場の担当者に、禁止が長引いている理由を電話で問い合わせていた。
返答は「修復には莫大な費用がかかるので、禁止を解く予定はありません」というもの。
何とも役場職員らしい答えに、それ以上突っ込んで問いただす気も失せたのだが、実際その場に立ってみると、「ロープ1本張れば何てことないがな」というのが率直な感想だ。
登山禁止にはなっているが、登山道はきっちり踏み固められており、実際にたくさんの人が登っていることがすぐわかる。事実この日も我々の他にも山頂に登った人がいた。
美しい山はみんなの財産である。いつまでも禁止の看板を盾にして逃げることは許されない。
またまた社会派真面目モードになってしまったが、二日酔いモードは、このあたりから徐々に改善し始めた。同時にまわりの美しさが一層際立ち始めたのがわかる。
初夏の爽やかな風。目に痛いほどのキャラボクの深い緑。烏ヶ山山頂の男性的な姿。そしてその後ろに控える大山の南壁も素晴らしく魅力的だ。
◇ ◇
「富士には月見草がよく似合う」と言ったのは誰だったろう。烏ヶ山には中年登山隊が似合ったかどうかわからないが、山の飯には、やはり冷えたビールが良く似合った。
久しぶりの烏ヶ山がプレゼントしてくれた360度のパノラマ。今度この景色を見るのは、いつになるのだろうと思いながら、その全景をしっかりと網膜に焼き付けた。
そして氷詰めにして持ってあがってきた缶ビールを性懲りもなく飲みながら、隊長として心掛けなくてはならない大切なことを心に刻んだ。
ヘッドランプを絶対に忘れるな?