今年の冬は雪が降らんなーと思っていたら、いつの間にか3月になり、本格的な春になるかなーと思っていたら、名残の雪が降ったりして春が足踏みしてしまった。
それにしても今年は杉花粉がきびしい。かくしてはいないけど何をかくそう僕は花粉症のベテランキャリアなのだ。
あれは忘れもしない1981年の冬。当時、東京の郊外に住んでいた僕は、ある朝突然に連発くしゃみに襲われたのだ。その頃はまだ花粉症が世の中に認知されておらず、僕は肩身の狭い思いをしながらはなをかんでいたっけ・・・。
以来苦節26年。花粉症は国民病として晴れてメジャーになり、僕も堂々とはなをかめるようになったのである。
というわけで鼻もすっきりしたし、3月1日で渓流釣りも解禁になった。とりあえず『鱒返しの滝』を目指して、釣りをしながら船上山ダム上流の勝田川を溯ることにした。
渓流魚の代表選手といえば、源流部に住むイワナ(岩魚)とその少し下流に住むヤマメ(山女)が2大勢力と言われている。岩と女を比べてどちらをとるかと言われれば簡単な話で、今回はヤマメがターゲットなのだ。
◇ ◇
ヤマメは世間では『渓流の女王』とか『谷の妖精』などと呼ばれている。その理由は美しい肉体にあるようで、 “パーマーク”と呼ばれる細長小判型の模様が体の側面に8〜10個並んでいる。このパーマークはどうやら人間でいう蒙古斑と同じで、幼児期だけに見られる肉体的な特徴だそうな。つまりパーマークが美しく浮き上がっているヤマメは、まだケツの青いガキということなのだ。
ヤマメはとても臆病で、毛鉤を振り込んでも興味を示して物色しにくるのはせいぜい3回。それ以上振り込むと怒って(?)どこかへ姿を消してしまうという。
仮に餌をくわえても、ほんの少しでも変なところがあるとその場で吐き出してしまう。その後は警戒して、その日一日中餌を食べないことも稀ではないらしい。神経質というか、わがままというかなんというか、とても扱いにくい女王様なのだ。
だから、今回のロケは普段とは違って、わいわいしゃべることもなく、釣り人とカメラが一定の距離を置きながら、カメラが釣り人の後をついていく格好になった。
釣り人は2人。小前隊員と浜本隊員。小前隊員はお得意のルアーで、浜本隊員は“自称”お得意のフライでヤマメに挑む。
普段なら僕は一番先頭を歩くのだけれど、今回は補助用のチビカメラで撮影しながら、釣り人の影を踏まないように3歩下がって歩いた。
◇ ◇
鱒返しの滝(下段)を目指すのは4年振りだった。僕と田村・谷口・浜本各隊員の4人でずるずる滑る川の中を歩いて、深い雪の中で落ちる2月の滝を撮影したのを憶えている。そしてそのロケがきっかけになって、この『輝け!中年ヒィーヒィー登山隊』が番組としてスタートすることになった。あれから4年。やっぱりこの川の“滑り”は健在だった。何はともあれずるずるずるずるずるずる滑るのだ。だから注意して歩かないと即転倒即ズブ濡れの憂き目に遭う。いつもは少々の滑りなど頓着せずに石を飛んでいくシェルパ隊長でさえ、こわごわ歩いていたのが可笑しかった。
【自称得意・浜本隊員】
自称得意の浜本隊員がフライを振りながらゆっくりと川を釣り上がり、小前隊員は滝つぼでルアーを引こうとさっさと上流方面へ消えていった。
【小前隊員はルアーで】
というわけで、肝心の釣りの部分はたったの4行で終わり、勝田川に見切りをつけ、加勢蛇川支流の山川谷へ移動することにした。
「ヤマメが無理なら、せめてゴミくらい引っ掛けて竿を曲げてみせいや。それができんならせめて川の中でこけて山場を作らんと・・・」
大父木地から井滝に抜けるくねくね林道に酔いそうになりながら、僕は番組の成否の鍵を2人に託したことを後悔し始めていた。
◇ ◇
山川谷は渓流釣りファンの間では知られたスポット。浜本隊員も「ここでなら釣ってみせます」と自信満々だ。車を下りるとすぐに二人ともまた水面と格闘を始めた。釣らない自称得意釣り師の後を、デカカメラを担いだ田村隊員が追いかけ、その後を三脚を担いだシェルパ隊長が続く。そんな様子を橋の上からチビカメラで撮影していたら、いかにも釣り師という格好をした2人のおっちゃんが川沿いの道を歩き下ってきた。
「釣れました?」
「う〜ん、今年はいけんなぁ・・・5,6匹だわい」
「ここを釣って上がんなったですか?」
「うん」
そう言うとおっちゃん達は、ウェーダー(長靴付き防水ズボン)を脱ぎ、道の脇に停めてあった車に乗り込むと、ブンと一回空ぶかしを入れて帰っていった。
川沿いに山ほど植えてある杉の木がざわわと揺れて花粉が舞った。
少し前に川を釣り上がった人がいるのに、自称得意の腕前では釣れるわけがない。
僕は5連発のくしゃみをしながら、小前隊員の後を追って上流へ向かった。
【結局 小前隊員がようやく1匹釣り上げた】