「巨木じゃいかんでしょう」と最初に言い出したのは谷口隊員だった。去年の7月、新滝を探すため山川谷でキャンプした時、霧の中で炭火を囲みながら語り始めた。
「このあたりには巨木と呼ばれている木が何本かあるけど、何百年、木によっては千年以上も生きてきたものを、単に巨木として片付けるのは、同じ生きものである木に対して失礼じゃないですかねぇ」。
これまで一度も考えたことのないテーマだったが、言われてみればもっともだった。
『巨』という字の意味を広辞苑で引くと、大きいこと・偉大なこと・多いこと、とある。巨匠という言葉があるように、良いイメージで用いられることもあるのだが、多くは、ただ大きいだけ、の意味で使われている。
琴浦町宮場にある“伯耆の大シイ”は、樹齢が千年を超えると言われている。千年前と言えば平安の中期。紫式部が源氏物語をしたためた頃である。父−祖父−曽祖父と代々さかのぼっていけば、実に40代前の祖先が生きていた頃なのだ。
紫式部や40代前のおじいちゃん、おばあちゃんと同じ時代に生まれ現在まで生きた木に、大きいから『巨』をつけとこう、という発想では寂しすぎる。
白い巨塔、巨悪、巨人・・・etc。そもそも『巨』という字に良いイメージがないことが問題なのだ。
◇ ◇
町の天然記念物に指定されている“山川谷のカツラ”を訪ねた。三本杉から車で10分ほど。林道脇に比較的新しい標柱が立ち、谷の方角を指して“山川谷のカツラ300m”と書かれている。
▲琴浦町内にある巨木を紹介する看板から撮影は始まった
このカツラを見に行くのは今回で二度目。この春に“らくらく山歩会(さんぽかい)”の山行で訪れたのが初めてだった。
その時は、事前情報がなかったので木がどこにあるかわからず、長靴がなかったので橋をつくって川を渡り、とりあえず前に進んだら、杉林の中で見つかった。見つかった、と書かなければならないほどわかりにくかったのだ。
カツラの木がある場所まで立看板でわかりやすく案内して、なんて言うつもりはさらさらないが、標柱に説明板をくっつけてもバチは当たるまい。
ところでその“らくらく山歩会”。このサークルは「山を楽しみながら、山を大切にしていこう」と、2002年の春に産声をあげた。現在の会員はおよそ90人。中年というか、もうちょっと上というか、その辺の年代の女性が圧倒的に多い。でも、年齢に似合わず(失礼!)抜群のパワーを誇っている。
活動のフィールドは東大山が中心。僕も会員の一人だが、らくらく、とは名ばかりで、一日中山を歩いて下りてくると、体がボロボロになっているような活動がままある。
反対にわが登山隊は妥協の繰り返しで、「どこがヒィーヒィーだいや?」と自問したくなることが、これまたままある。
お互いに、“ヒィーヒィー山歩会”そして“中年らくらく登山隊”と改名した方がいいのかもしれないなぁ…。
◇ ◇
標柱の脇をすり抜けて、荒れた散策道を下りていくと、当たり前だがやっぱり川があった。でも今回は春の事前情報があったので、全員がきっちり長靴を装備していた。いくつもの台風にかき混ぜられて、今年の秋の紅葉は全国的に今ひとつだったとか。もちろん山川谷の木々も例外ではなかった。水底には縁を擦り傷で茶色く変色させたたくさんの落ち葉が積もり、穏やかな水面には晩秋のやわらかな陽射しがやさしく踊った。
川をザブザブ横切るとすぐ杉林。そして、家来の杉をぐるりと従えるように、主(あるじ)のカツラがそびえていた。
▲山川谷のカツラ
デコボコして計りにくいことこの上なかったが、とりあえず目通り(目の高さの幹の直径)は3m弱。いったい何年生きているのか見当がつかない。
“妖怪ババァ”の衣装のようにささくれた感じの太い幹が4つに分かれ、しわくちゃで細長い腕のように天に伸びている様は、杉林の中の暗さも手伝ってか、妙におどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。
地面に落ちた葉が、甘く匂うのはカツラの特徴だ。葉が枝についている時はなんにも感じないが、地面に落ちてしばらく時間がたつと匂うのだという。カラメルに似たあまーい香りは晩秋の森を歩く楽しみの一つでもある。
一向平から吊橋に向かう途中、お不動さんのすぐ近くにも大きなカツラの木がある。来年の落葉期には、皆が鼻をくんくんさせながら通るのもいいかもしれない。
◇ ◇
吊橋を過ぎ、大山滝へ向かってしばらく歩くと、右手に北ヶ平(きたがなる)へ上がる小径が現れる。むしろ踏み跡と言ったほうが正しいのかもしれない。漫然と歩いていたら見逃してしまう、油断も隙もない小径である。そこをヒィーヒィー登り、もひとつヒィーヒィー言いながら谷を越すと、琴浦・大栄両町で一番大きなミズナラの木が見えてくる。
目通り2m40cm。一部の人たちからは、鳥取県一の呼び声が高い南大山のミズナラを凌ぐのでは、という声も聞かれるほどの太さである。
▲その大きさと存在感に圧倒されてしまった。ミズナラと田村隊員。
この木も、300年とか500年というレベルで生きてきたものに違いなかった。
みごとにVの字に分かれた幹を見上げながら谷口隊員が改めて言った。
「やはり、『巨木』ではいけません」
僕も改めて言った。
「もっともである」
では、どういう呼び名にするのか??。目下思案中だが、敬い、尊ぶ気持ちのあふれたネーミングにしたいと思っている。視聴者の方からもアイデアを募りたい。あらかじめことわっておくが“巨”額の謝礼は絶対にない。