大父木地から矢筈川を遡った。4月に飯盛山の山頂から見た『赤滝(あかだき)』の優雅さが忘れられなかったからである。
日程には余裕があったはずなのに、また放送日(7月30日)前日の決行になってしまった。ボロボロになって山から下りてきて、すぐ編集に取りかかるのは、エライってわかっちゃいるけど止められない。何事もギリギリになってから腰をあげるのはO型人間の悲しい性なのだ。
4月の飯盛山に続いて、この辺りの山という山を踏破している大父木地の小椋弘志さん(67)が特別参加。矢筈川源流への水先案内をしてもらった。
矢筈川は滑る。とにかく滑る。ずるんずるん滑る。長年、川と付き合っていれば滑る石とそうでない石は見ただけでわかるが、矢筈川のヤツはクセ者である。表向きは優等生なのに実はとんでもないワル??そんな石が多い。逆に苔がついていかにも滑りそうな石が安全だったりする。
一寸先は水の中。矢筈川は権謀術数渦巻く都会の盛り場みたいな川なのだ。
歩き始めてすぐ、なんとなんとイノシシに出合った。断っておくがブタではない。紛れもない野生のイノシシである。ん?山の中ではブタと出合う方が珍しいって?ならあっさりと、イノシシがいた、と書いておこう。
何はともあれ山道のすぐ脇にイノシシが寝ていたのである。第一発見者は小椋さん。というか、獣の臭いは誰もが感じていた。
野生動物保護的に様々な事情があって詳しくは書けないが、不意に安眠を破られ、寝床さえも奪われたイノシシは、うらめしそうに我々の方を振り返りながら、山の中へ消えていった。
「ごめんよ。俺たちが侵入者なのにな」
右手に雨のように飛散しながら、赤茶けた岩肌を落ちる滝が現れた。小椋さんによると、地元の人たちは“赤滝”と呼んでいるという。
「えっ?赤滝?」
今回の矢筈川遡行の目的は、源流を極めること=赤滝を撮影すること、である。4月に飯盛山の頂上から見た赤滝は、遠景ではあったが、水量たっぷりに、矢筈ヶ山と甲ヶ山の間をなまめかしく蛇行しながら滑り落ちていたのだ。
だから、目の前のシャワーみたいな滝は、誰が何と言おうと赤滝ではなかった。
「なまめかしさを求められてもなぁ…」とシャワー滝は反論するかもしれないが、ガキの滝に発言権はないのだ。
だいいち、地図によると3段滝となっているのに、上の方は何にも見えないではないか。もっと遡れば、ガキの滝ではない、美しい大人の滝が姿を現すはずである。
▲田村カメラマン滝シャワー
ということで、その滝を“通称赤滝”と整理して、さらに上流を目指した。
しばらく行くと、風の通り道なのだろうか、10mほどの幅で草が倒れている崖があった。光の加減で草の滝のように見える。
“青滝”と呼んでいる、と小椋さん。
「なるほど」
地図を見ると両サイドとも『崖』の表示。
「土砂降り即鉄砲水はいやよ」と、なよなよしながら山の神様にお願いしたくなるような、逃げ道のない谷である。
矢筈川の源は文字通り矢筈ヶ山だが、右の崖(左岸)を落ちてくる水は、甲ヶ山からのものに違いない。シモツケソウやクガイソウ、ソバナなど深山特有の花も崖のあちらこちらに咲いていた。
しかし、歩けど歩けど、目指す『赤滝』が現れない。地図を見ると右の崖を流れ落ちているはずである。
流れはどんどん乏しくなっていった。谷底がどんどんかさ上げされ始め、源流が近いことがわかる。春と夏では圧倒的に春の方が水量が多いに決まっているが、それにしてもあの優雅な滝はどこに消えてしまったのだろう。
そうこうしているうちに、高さ10mほどの滝が行く手をふさいだ。手がかり、足がかりになりそうな石は例によってズルズル。ハーケンやザイルなどの装備なしでは越えることは不可能だ。
万事休す。
▲滝とくればやっぱりソーメン。うまさに感激し、黙々と食べる。
彼はカウベルホール担当のJA職員だが、テレビに映るたびに遊んでいるように見られて「ちょっとつらい思いをしていた」という。
この登山隊の活動は平日が多く、彼は休みをとって参加してくれていたのだが、まわりの人たちに、そこのところをなかなか理解してもらえなかったようだ。
今回は川が舞台だったから、彼の十八番(自称)の釣りで、昼飯にはイワナの塩焼きが登場するはずだったのに…。残念だけど仕方ない。彼には準隊員を命じておいた。
ところで(ん?二度目か)、この原稿を書こうと滝の本を調べていたら、“通称赤滝”が本物の『赤滝』であることがわかった。
文中のガキの滝(シャワー滝)は、3段滝の下段にあたり、中段と上段は下からは見えないと書いてある。たぶん滝と滝との間隔が離れているだろうから、飯盛山の山頂からは蛇行しているように見えたのだろう。
さすがに都会の盛り場のような川である。奥が深い。ブタはいないがイノシシがいる。
矢筈川恐るべし…。
4月の飯盛山に続いて、この辺りの山という山を踏破している大父木地の小椋弘志さん(67)が特別参加。矢筈川源流への水先案内をしてもらった。
矢筈川は滑る。とにかく滑る。ずるんずるん滑る。長年、川と付き合っていれば滑る石とそうでない石は見ただけでわかるが、矢筈川のヤツはクセ者である。表向きは優等生なのに実はとんでもないワル??そんな石が多い。逆に苔がついていかにも滑りそうな石が安全だったりする。
一寸先は水の中。矢筈川は権謀術数渦巻く都会の盛り場みたいな川なのだ。
歩き始めてすぐ、なんとなんとイノシシに出合った。断っておくがブタではない。紛れもない野生のイノシシである。ん?山の中ではブタと出合う方が珍しいって?ならあっさりと、イノシシがいた、と書いておこう。
何はともあれ山道のすぐ脇にイノシシが寝ていたのである。第一発見者は小椋さん。というか、獣の臭いは誰もが感じていた。
野生動物保護的に様々な事情があって詳しくは書けないが、不意に安眠を破られ、寝床さえも奪われたイノシシは、うらめしそうに我々の方を振り返りながら、山の中へ消えていった。
「ごめんよ。俺たちが侵入者なのにな」
◇ ◇
1時間近く歩くと杉の人工林が影を消し、トチ・ブナその他の落葉広葉樹が目立ち始めた。同時に谷がどんどん狭まり、上り傾斜もきつくなってきた。川底は相変わらず、すべった。右手に雨のように飛散しながら、赤茶けた岩肌を落ちる滝が現れた。小椋さんによると、地元の人たちは“赤滝”と呼んでいるという。
「えっ?赤滝?」
今回の矢筈川遡行の目的は、源流を極めること=赤滝を撮影すること、である。4月に飯盛山の頂上から見た赤滝は、遠景ではあったが、水量たっぷりに、矢筈ヶ山と甲ヶ山の間をなまめかしく蛇行しながら滑り落ちていたのだ。
だから、目の前のシャワーみたいな滝は、誰が何と言おうと赤滝ではなかった。
「なまめかしさを求められてもなぁ…」とシャワー滝は反論するかもしれないが、ガキの滝に発言権はないのだ。
だいいち、地図によると3段滝となっているのに、上の方は何にも見えないではないか。もっと遡れば、ガキの滝ではない、美しい大人の滝が姿を現すはずである。
▲田村カメラマン滝シャワー
ということで、その滝を“通称赤滝”と整理して、さらに上流を目指した。
しばらく行くと、風の通り道なのだろうか、10mほどの幅で草が倒れている崖があった。光の加減で草の滝のように見える。
“青滝”と呼んでいる、と小椋さん。
「なるほど」
◇ ◇
この峡谷は昔から『赤谷』と呼ばれてきた。石の種類はわからないが、崖と川底の色が“赤”の語源になっていることは間違いない。地図を見ると両サイドとも『崖』の表示。
「土砂降り即鉄砲水はいやよ」と、なよなよしながら山の神様にお願いしたくなるような、逃げ道のない谷である。
矢筈川の源は文字通り矢筈ヶ山だが、右の崖(左岸)を落ちてくる水は、甲ヶ山からのものに違いない。シモツケソウやクガイソウ、ソバナなど深山特有の花も崖のあちらこちらに咲いていた。
しかし、歩けど歩けど、目指す『赤滝』が現れない。地図を見ると右の崖を流れ落ちているはずである。
流れはどんどん乏しくなっていった。谷底がどんどんかさ上げされ始め、源流が近いことがわかる。春と夏では圧倒的に春の方が水量が多いに決まっているが、それにしてもあの優雅な滝はどこに消えてしまったのだろう。
そうこうしているうちに、高さ10mほどの滝が行く手をふさいだ。手がかり、足がかりになりそうな石は例によってズルズル。ハーケンやザイルなどの装備なしでは越えることは不可能だ。
万事休す。
▲滝とくればやっぱりソーメン。うまさに感激し、黙々と食べる。
◇ ◇
ところで今回、正隊員から浜本隊員が抜けた。出席率が悪いから除名したのではなく、本人の申し出による。彼はカウベルホール担当のJA職員だが、テレビに映るたびに遊んでいるように見られて「ちょっとつらい思いをしていた」という。
この登山隊の活動は平日が多く、彼は休みをとって参加してくれていたのだが、まわりの人たちに、そこのところをなかなか理解してもらえなかったようだ。
今回は川が舞台だったから、彼の十八番(自称)の釣りで、昼飯にはイワナの塩焼きが登場するはずだったのに…。残念だけど仕方ない。彼には準隊員を命じておいた。
ところで(ん?二度目か)、この原稿を書こうと滝の本を調べていたら、“通称赤滝”が本物の『赤滝』であることがわかった。
文中のガキの滝(シャワー滝)は、3段滝の下段にあたり、中段と上段は下からは見えないと書いてある。たぶん滝と滝との間隔が離れているだろうから、飯盛山の山頂からは蛇行しているように見えたのだろう。
さすがに都会の盛り場のような川である。奥が深い。ブタはいないがイノシシがいる。
矢筈川恐るべし…。