2003年8月20日水曜日

"新滝夢見て1か月"の巻〈Peak.4〉



 「すいません。地図に載っていない新しい滝を見つけたんですけど、どうしたら自分たちで名前をつけて登録できますかねぇ」
 国土地理院に問い合わせたのは6月の終わりごろ。国土地理院が東京ではなく茨城県にあることもそのとき初めて知った。もちろんその時点では、新しい滝など見つかってはいなかったが「これから見つける予定なんで」とは恥ずかしくて言えなかった。
 「とりあえず、国土地理院のホームページの中にある25,000分の1の地図に、滝の場所を明示して、メール送ってもらえますか。こちらでチェックして、具体的な調査が必要ならその旨連絡します」
 国土地理院の担当者は、なんとも事務的に説明した。
 「あのう、滝の高さとか幅とか写真とかは要らないんでしょうか」
 「あー、いいですよ。調査は広島の出先の方で行いますからね」
 担当者の言葉には茨城訛りもなかった。
◇      ◇
 目指す滝は、東伯町の山川谷川にあることになっている。この川は矢筈ヶ山を源に、4 あまりの峡谷をつくって、三本杉で加勢蛇川に合流する。
 "やまかわだにがわ"というややこしい名前がついているが、普段は"やまがだに"と呼ばれ、渓流釣りのシーズンだけ、たま〜に人がいるという、わりと寂しい川である。
 「名前のついてない滝がある」という情報は古長のIさんからのもの。Iさんは、山菜採りや釣りで地元の山・川関係の地理を熟知しており、信頼できる情報なのは明らかだった。
 7月2日の夕方、われわれは三本杉から林道に入り、その終点付近にベースキャンプを建設した。建設した、と書けば、「大げさなこと言うな」と叱られそうだが、ベースキャンプはいつの世も「建設する」ものなのだ。
 その核となる6人用のテントは前室つき。床つきの母屋には隊長と正隊員計4人が、床なしの前室にはシェルパ隊長が寝る決まりになっている。床といってもテント地一枚だけだから、そんなに劣悪な環境をシェルパ隊長に押し付けているわけではない。
 母屋と前室の広さが同じということを考えれば、広いスペースを独占しているシェルパ隊長の方が、いい環境なのではないだろうか。
 ん?もしかしたら本当にそうなのかな?もしそうだとしたら…なんか、だんだん腹が立ってきたぞ。今度一回、場所をチェンジしてみる必要があるかもなー。


▲ファイト一発!山川谷にはいくつもの難所が待ち構えていた

 テントで一晩、じっくり探検の構想を練って、翌早朝に滝探しの旅を始めようという今回の計画。夜から翌日にかけての天気予報は"雨時々曇り"と今ひとつだったが「梅雨の時期の天気予報は当たりゃーせん」と、無視を決めこんだ。
 案の定、曇ってはいるが雨の気配はまったくなく、7月なのに五月雨式に5人全員が集まるのを待って本格的な山の宴が始まった。
 今回は、というよりも今回も炭火焼。カメラが回れば、さすがーと言われるようなメニューを考える自信があるのだが、映らんもんに手間ひまかけるのはポリシーに反する。ただし、炭を二種類用意した。3キロで198円のやつと898円のやつ。898円には備長炭などと書いてある。198円で着火させて898円で火を長持ちさせようという狙いだ。
 アルミホイルとバターなども駆使して、炭火焼=焼肉ではなく、炭火焼=炭火焼という、どこに出しても恥ずかしくない正しい関係も生まれていた。
◇      ◇
 日が暮れて1時間もたつと、山の気温は急激に下がる。皆が上着を着込んだ。テント地が夜露に濡れている。ついでに炭までしけてきた。少し前までオレンジ色に燃え盛っていた898円が、何とも危なっかしい雰囲気に変わっている。
 炭火焼から火をとると炭焼になるが、これでは食べられないなぁ、などと考えていると、朝倉シェルパ隊長が動いた。すっくと立ち上がると車のドアを開け、一本のスプレー缶を取り出した。虫退治をするために持ってきていたキンチョールである。
 「これ使っていいですかねー」
 「ええでー。蚊にでも刺されたんか」
 「ちょっと網をどけてもらえます?」
 シェルパ隊長はそう言うと、田村カメラマンから借りたライターを右手に握り締め、キンチョールを噴射しながら火をつけた。
 ゴォーッという音とともに、勢いよく繰り出される火炎。 「変身!」というかけ声は聞こえなかったが、嬉々とした彼の眼は明らかに"恐怖のキンチョーバーナー男"への変身を果たしていた。そして、炭火は見事に復活した。しかし、とてもテレビでは放送できなかった。
 翌朝は雨。再計画した日程も雨。再々計画の日程も雨。そしてもう一度雨。なんと実際に決行できたのは5度目の正直、1ヶ月後の8月1日であった。
◇      ◇
 林道の終点から登山道に入る。ルートのほとんどは、杉の人工林の中を進むことになる。戦後植林された杉と檜は、手入れがされず枝が繁茂して、林の中には一筋の光さえ入り込めない有様だ。用材としての利用価値もなく、針葉樹の性格上、水源の涵養という役割もほとんど果たさないとすれば、まさに"負の遺産"である。


▲新しい滝の落差はおよそ10メートル

 だが、その杉林にも、間伐の手が入るらしく、樹木は一本一本チェックされ、登山道も草が刈られていた。でも、ヘリで間伐材を搬出するとなると、ものすごく高価な遺産になることは間違いない。
 山川谷には、名前のついている滝が三つある。下流側から二児(ふたご)滝、三本杉滝、飯盛(いいもり)滝である。目指す滝は、Iさんの情報から、三本杉滝の上流にあるだろうという見当がついていた。
 見当がついているのはいいのだが、登山道から谷に下りるルートは限られている。
 バキッ!ズルッ!ゴン!あーっ!
 様々な音と悲鳴が沢筋に響き、全員が泥だらけになって谷に下りた。
◇      ◇
 「簡単に見つけられる滝なら、とうの昔に見つけられて名前がついとるわい」と自分に言い聞かせなければならないほど、三本杉滝を巻くルートは困難を極めた。テレビには映ってはいないが、まさに命がけ。田村カメラマンも、何を思ってか、命の次に大切なはずのテレビカメラをしっかりとザックにしまいこみ、崖に取り付いている。ん?命の次…だから、それでいいのか。
 でも誰か谷底へ転落するかもしれない、千載一遇ともいえる撮影チャンスなのに、指をくわえて見逃すようではカメラマン失格と言われても仕方がない。
 崖と格闘すること1時間あまり。結局、新しい滝は、そのあとすぐに、われわれの前に現れた。しかし当初の「新しい滝に自分たちが名前をつけて地図に登録する」という目的は、まだ果たせないでいる。
 訛りがなかった国土地理院の担当者は、「広島から調査に行くのは、来年になるのか5年先になるのか、わかりませんねー。なんかのついでがないと」と冷たい返事。
 え〜えい、こうなったら何十と滝を見つけて絶対来んといけんようにしたるワイ!